グラス4 女友達 パート1

金曜日の昼下がり。

遅めにとったランチの後も、二人の主婦はおしゃべりに夢中だ。店内は比較的空いている。店ほぼ中央にある丸いテーブルをはさみかなり大きな声で話している。嫌でも会話はカウンター内の私に届いていた。
二人は昔この近辺の会社に勤めていて、久しぶりにショッピングを楽しんだ後、ここまで足をのばしたらしい。
思春期の扱いにくい子供のことや、給料の少ない夫の愚痴、姑の悪口、近所の噂話、一向に減らない体重のことなど、話題は尽きない。

珍しく店にいる店長阿倍は、奥の小さな事務所でパソコンのキーをしきりにたたいては、ときどき本社に電話をかけたりしている。シェフ八嶋も、厨房でビールを使ったソースの仕上げに没頭していた。

どちらも、この二人の中年の主婦には全く関心が無いらしい。

一人は大柄な体を安物のスーツに包み、ふち無しめがねで、髪をひっつめにしている。身振り手振りが大きく、話し方も豪快な姉御肌。シバコと呼ばれている。
タマエとよばれるもう一人のほうは、丸顔の童顔でおかっぱ頭。レモン色のアンサンブルのカーデガンが小太りの体型を強調していた。しゃべりも動作も緩慢で、そのせいかおっとりして見える。

「それにしてもこの辺もずいぶんと変わったよね。タマエとOLしてた頃はこんなこじゃれた店なんかなかったしさぁ」とシバコ。

「そうだよ。第一カフェなんていわなかったもん。お茶するならサテンだったし。シバコとはよくお昼ごはんの後コーヒー飲みに入ったよね」とタマエ。

「そうそう、お茶といえばサテン、飲み会といえばダサイオジン定番の安い居酒屋でさぁ。セクハラなんて言葉無かったから、エロ上司にお酌させられて、嬉しくも無いのにニコニコさせられてたよね」

「仕事といえば、お茶汲みとコピーだけでねぇ。あの頃はとにかく早くいい男つかまえて、寿退社するのが目的だったよね。まぁそれが失敗のもとだったけど」

「タマエなんかまだましよぉ。取引先の手堅い銀行マンと一緒になったんだから。あたしなんかそれこそ、社内恋愛で手近に済ませちゃったばっかりに、出世の見込みの無い男をつかんじゃってさ」

「うちだって、大手銀行との合併で、とっくに出世コースから外れてるわよ。それどころか、課長代理から、係長に格下げしちゃったもの」

「うちも似たようなもんよ。全く畑違いの若いのがひょっこり異動してきて、いきなり上司になったらしいんだけどさぁ。こんな会社やってられない、こっちからやめてやるって、先月から今の会社に移ったんだけど、正直給料は激減よ。ったく受験生を二人もかかえてお先真っ暗だわ」

「あたしたち、こんなはずじゃなかったのに、いったいどこでまちがえちゃったのかしら」

「早まりすぎたんじゃん、結婚。あの頃って、二十五までには結婚して退社っていう空気、社内にも世間的にもあったじゃない?まして三十過ぎても会社に居残って、お局様なんていわれるのだけは、死んでもごめんだったもの」

「そういう時代だったのよねぇ」

「そういえばタマエ、同期だったユサコってどうしてるか知ってる?」

「ユサコ?何かいたね、そんな子。私たちと同じ、短大の新卒で入社した、なんか暗くてさえない子だったよね。あの子以外、あたしたち同期はほとんど2,3年のうちに寿退社したけどユサコについてはその後も、特に音沙汰って聞かなかった気がする」

「ねえ、それってまだ会社にいるってことじゃないの?」

「まさかぁ。20年もたっているのよ。それにシバコのだんな、先月まで勤めてたんだから、あんたと同期のユサコが会社にいれば当然話題に上るでしょう」

「うちのだんなのいた部署ってあまり女子社員との接点ないし。八つも年上だからあたしの同期のことも知らないのよ。ねえ、今から会社に電話してみない。それでダイモンユサコで呼び出してみようよ」

「いきなり電話したりしてとりあってくれるかなぁ」

「同期だって言えば問題ないじゃん。だめもとだよ。もしそれで、ユサコがいたら、ここに呼び出してみない?」

「呼んでどうすんのよシバコ」

「そりゃまぁ、近況報告ってやつよ。お互い二十年ぶりに会うんだから私たちの今の幸せな生活ぶりも教えてあげたいし。あの地味でさえないユサコがどんなお局様になってるのか、興味あるしさ。とにかくそんなのそのとき考えりゃいいじゃん」

「なんか面白そうだね」

「よっしゃ、決まり」

そして、シバコはバッグから携帯電話を取り出し、夫と自分のかつての勤務先をコールした。

「あ、もしもし、私○○年から○○年まで御社の総務に在籍しておりました、旧姓小柴千恵子と申します。あのそちらに勤務していらっしゃる大門由佐子さんとは同期なんですけど。・・・はい、・・・はい、ああ、そうです、その方です」
シバコは空いているほうの手で、OK印を作ってタマエにおくった。

「・・・あのぅ、よろしければおつなぎいただけますでしょうか?・・・はい、・・・はい」
そして受話器をおさえると、小声で
「やっぱいるってさ、統括何とかって部署らしいよ。今つないでもらってる」
興奮気味にささやいた。

「あっ、もしもし、ユサコ?あたし、シバコよ、旧姓小柴千恵子。ユサコと同期だったシバコだけど覚えてる?・・・そうそう、懐かしいわぁ、げんきだったぁ?。・・・うんこっちも元気元気よぉ。実はさぁ、今会社の近くに来てんのよ。タマエっていたでしょ。・・・そうそのタマエ、一緒にいるの。ねえ今からちょっと顔出さない?そろそろ退社時間でしょ?・・・え?忙しい?そんなぁ、冷たい事いわないでよ、せっかく旧友が久しぶりに近くまで来てるんだからさぁ。・・・うん、・・・うん、じゃあ、せめて30分だけでもおいでよぉ。・・・うん・・・うん・・・わかってるって、じゃあ待ってるからね、絶対おいでよ」

かなり強引な勧誘の末、とうとうユサコなる人物は観念してでてくることになったようだ。

30分後。

うわさのユサコが現れた。
男装の麗人、という表現がぴったりのその人が、ドアから現れた瞬間に私の目は釘付けとなった。
ショートカットにブルーのパンツスーツ。知的で、クールな雰囲気。しかし、当の二人は彼女が店内に現れても、一瞥をくれただけで、すぐにおしゃべりに戻ってしまった。彼女のほうは、すぐに二人を認め、まっすぐそのテーブルに近づいた。

「お久しぶり。シバコ、タマエ」いきなり見下ろされた形となった二人は、かつての同僚が、しばらくは認識できなかったようだ。

「まさか、あんたユサコ?」

「そうよ、シバコ。それにタマエも元気そうでなりよりだわ」

「ずいぶん昔と雰囲気が変わったみたいだけど」

「私たちアラフォーですものね、二十年も経てばお互い変わるわよ」

正直、ユサコが他の二人と同世代とはとても思えない。私が注文を聞きに行くと、「ごめんなさい、まだ仕事が残っているから、ペリエをください」とユサコはいった。

「でもまだあの会社に勤めていたのねぇ」

「あら、知っていたから電話くれたんじゃなかったの、シバコ?」

「ええ、まぁ」

あまりに華麗な変身を遂げたユサコを前に、二人の主婦は毒気を抜かれてしまったようだ。

「それにしてもユサコはえらいわぁ。ひとりで会社一筋で生きてきたんだもの、ねぇ、タマエ」

「あ、うん。ひとりで生きるってたいへんだわよねぇ」

「ひとりで寂しいと思ったこと無いの?私なんか毎日だんなや子供の世話で忙しく過ごしてるけど、それはそれで結構幸せ感じてるしぃ。ねえタマエもそうだよねぇ」

「そうそう、三食昼寝と、おまけにときどきお外でランチ付だもん。楽よねぇ」

ユサコは二人にあえて反論することもなく、ニコニコと相槌を打っていた。

すると突然扉が開いて、サラリーマン風の若い男が入ってきた。

「いたいた」

男はユサコを認めるとまっすぐ彼女を目指した。片手に女性用の携帯電話を持っている。

「部長、ケイタイ置きっぱで、外出しちゃ困りますよ。行き先聞いてたから良かったけど、クライアントからの催促電話じゃないんですか。ほらまたかかってきた」

ユサコは男から携帯電話を受け取ると、「ごめん」といって席を立ち、店外に出た。

男はぽかんとしている二人の主婦にはじめて気づいたように

「あ、どうも、突然すみませんでした。僕、大門部長の部下で伊藤です」

といって頭を下げた。

「部長って、ユサコが?」

「はい、先月発足した、企画統括部で、女性初の部長に抜擢されたんです。美人で、頭は切れるし、仕事もできて、尊敬してます。お二人は部長とは古いお付き合いだそうですね」

「ええ、まあ」二人の主婦は顔を見合わせて言葉をにごした。

そこへユサコが戻って「ごめん、やっぱ会社に戻るわね、伊藤、私先に行くからこのカードで支払っておいて。シバコ、タマエ、会えてよかったわ。じゃあまたね」といって出て行ってしまった。

「ちょっと部長、ころばないでくださいよ」

そういうと伊藤はほとんど無意識に。ユサコの残したペリエのグラスに口をつけ、飲み干した。そして、二人の無遠慮な視線を感じると、少し戸惑ったようにいった。

「実はまだ会社には内緒なんですけど、僕たち、結婚するんです」

「えー?」

二人の主婦はほとんど同時に奇声を発した。

「来年には赤ちゃんも生まれるんです」

「えー?」

「もちろん部長には仕事は続けてもらいます。だから僕、家事だって手伝うし、仕事も部長を助けて頑張ります。じゃ、僕も会社に戻らなきゃ、じゃあ失礼します」

伊藤が店から出て行くと、シバコもタマエもしばらくは放心状態で、口も聞けなかった。

いつのまにか外は夜の帳が下り、店内は混み合ってきていた。

私は二人の主婦のテーブルに行き、ミネラルウォーターのお代りを注いだ。シバコが私をにらんだ。

「ちょっとあんた」

「あ、はい」

「大きなジョッキで生ビール飲みたいんだけど」

「ベルギービールのデリリュウムでしたらご用意できますけど。」

「じゃあそれ二つね、一番大きなジョッキでもってきて」

「かしこまりました」

それから二人の主婦はビールを大ジョッキで立て続けにのみはじめた。

二人とも4杯目ごろから正体不明になってきた。

「あの伊藤って男、相当若かっだったわよねぇ」

「うん、それに結構いい男だった、ヒック」

「子供も生まれるって言ってたわよねぇ、ヒック」

「なんかユサコばっかりいいとこどりされちゃったねぇ、ヒック」

「ねえ、タマエ、あたし今とんでもないことに気がついちゃったみたいなのよ」

「なによ、とんでもないことって?」

「うちのだんな、他の部署から来た若いのが上司になるなんてやってられないって会社辞めたっていったでしょ?その若い上司ってユサコのことなのよ」

「うそー」

「間違いないわ、二つの部署が統合して、企画統括部になるっていってたもん」

「ちょっとぉ、あのさえなかったユサコがどうなっちゃてるわけぇ?出世して若い男ゲットして、おまけに子供までつくって、なんかずるくない?」

「こうなりゃ今夜は飲みまくってやる」

「そうだよシバコ、飲も飲も」

「お姉さん、ビールおかわジャンジャン持ってきてぇ、ヒック」

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