グラス5 紅海の宝石

午前十時半。

欧州麦酒カフェ開店の三十分前、いつものように入店すると珍しく店長阿倍が出勤していた。シェフの八嶋と厨房でなにやら真剣に話し込んでいる。

「おはようございます、店長、シェフ」

「おい、城戸。お前も考えろ」

顔も上げずに店長がぶっきらぼうに言う。

「っていきなりなんですか?」

二人の前には何種類かの食材と、ビールが数本並んでいる。シェフ八嶋がそれらを前にもっともらしく腕を組んでいた。

「新しいメニューの開発だよ、城戸ちゃん」

「それは八嶋シェフのお仕事でしょう?」

「ただのメニューなら僕の仕事なんだけどね。店長と話し合って、誕生日のお客限定で出す特別メニューを作ろうということになったのさ」

シェフ八嶋の言葉を受け店長阿倍がやっと顔を上げた。

「カップルの女性が誕生日だとして、恋人にこの店に連れてこられる。そこであらかじめ彼氏から予約を受けていたサプライズのメニューが登場する。彼女は感激して一生の思い出に残るバースデーとなる。そんな寸法だ」

ぶっきらぼうな言い方に似合わない、店長のロマンティックな提案だ。

「それすてきですね」

「だからメニューはインパクトのあるものにしたい。城戸、お前も一応女だろ。どんなメニューを出されたら嬉しいか考えろ」

「一応って何ですか、店長、一応って」

「まあまあ城戸ちゃん、女の子の立場で考えてみてよ」

近頃のシェフは、すぐに言い合いになる私と店長の間でなだめ役が板についてきた。私もわかっていながらそのペースに乗ってしまう。

「うーん、そうですねぇ。・・・あのぅ、うちの一番の売りってヨーロッパビールですよね。女の子ってフルーツが好きだから、フルーツ系ビールをベースにした新しいメニューを考えてみたらいかがでしょう?」

「フルーツ系のビール?ありきたりだな」

店長、ばっさり切り捨てる。

「ビールだけならありきたりですけど、たとえばフルーツの盛り合わせなんかと組み合わせたりして」

私も負けずに食い下がる。

「フルーツの盛り合わせだと?お前ここは銀座の高級クラブじゃないぞ」

おもわず私、むっとして言い返そうとすると、八嶋がそれをさえぎった。

「いや店長、おもしろいかもしれませんよ」

「なんだ八嶋?」

「カットしたフルーツの盛り合わせの上からビールを注いで出すっていうのはいかがっすかねぇ」

「それ素敵ですね。そんなの出てきたら感動しちゃいますぅ」

さすがシェフ、センスがいい。私は目が潤んできた。

「そんなんで女は感動するのか?」

「そうですよ。店長は女好きのくせして全然女心がわかってないんですね」

毒づく私。

店長、外人みたいに両手を広げ肩をすくめて見せた。こういう仕種が様になるのがまた憎たらしい。

シェフ八嶋は腕組みしたまま左手を上げて中指で眉間辺りを眼鏡の上から押さえた。考え事をする時の彼の癖だ。

「カットしたフルーツは凍らせてはどうでしょう。飲み終わってもシャーベットみたいになったフルーツを食べる楽しみが残ってますし・・・」

「八嶋さん、それすごくいいです。一度で二度美味しいってことですね」

「やっぱお前は色気より食い気だな」

再度むっとする私だがシェフ八嶋はかまわず続けた。

「季節のフルーツを5,6種類、どれも球状にくりぬいて、マスカットぐらいの大きさにそろえて凍らせる。それらをクリスタルのグラスに重ねて、お客の目の前でビールを注ぐんです」

「それならビールを注ぐのは彼氏にしてもらったらどうでしょう?。どんな女の子でも絶対感激すると思います」

「なるほど。城戸ちゃん、それいいね。店長、一度その線で僕に試作品を作らせてもらえませんか?必ず納得のいくものをつくって見せます」

厨房の丸イスに腰をかけ足を組んいた店長が立ち上がった。

「まあお前がそこまで言うならやってみろ、八嶋」

「有難うございます」

その日、閉店後も遅くまでシェフ八嶋は店に残っていたようだった。

翌朝。私はいつもより三十分早く出勤した。駅について大通りのところで待っていると、やたらに派手なオープンカーが私の前で止まった。店長自慢の愛車だ。

「おはようございます、店長」

「ああ。乗れ」

「でもお店はここから歩いてすぐですよ」

「いいから、早くしろ」

仕方なく助手席のドアを開けて車内にすべりこむ。

爽快なエンジン音とともに車は新緑の青葉をまとった並木の大通りを店とは反対方向に走り出した。

「どこに行くんですか?今朝いきなり、十時までに駅に来いってメールもらって、ホントあせっちゃいました」

「せっかくの天気だからお前とデートだ」

「冗談はよしてください。開店前にやっておきたいこともあるのに・・・」

「心配するな。八嶋が徹夜で新メニューを開発したんだ。もうすぐ完成するからそれまで我慢してドライブを楽しめ。俺の助手席に座りたい女はゴマンといるんだぞ」

ゴマンはいないだろうと心でつぶやきながら、それならと覚悟してドライブを楽しむことにした。

気がつけば空は雲ひとつなく、空気は乾燥している。両サイドの街路樹からは途切れることなく若葉の青が視界に飛び込んでくる。

「どうだ、気持ちいいだろう」

「はい・・でももう少しすぴーど落としてもらえませんか?」

信号で車が止まるたび、人々の視線がこの車に注がれているのを感じた。店長は全く気にする様子はないが、私は居心地がよくない。

十分も走った頃、携帯の着信音が鳴った。シェフ八嶋からだ。

「もしもし城戸ちゃん?どうよ、店長のZ4でのデートは?」

「よしてくださいよ。運転が乱暴で生きた心地がしません」

「アハハ、あの人運転荒いからなあ。それでさぁ。店長に伝えてくれる?いつでもお帰りください、って」

「ということは新メニュー、とうとう完成したんですね!」

「そういうこと。じゃ、よろしくね」

私が通話を終わらせるより早く、店長はハンドルを大きく切り返した。車はUターンして反対車線に滑り込み、そのまま猛スピードで大通りを突き抜けていった。

「ちょっとぉ、そんなにスピード出さないでくださいよぉ」

店の前で車を降りると、ひざがガクガクと震えた。緊張と恐怖から開放されたというのに体のほうがついてこれてない。

表の入り口から店に入ると、「いらっしゃいませ。ようこそ欧州麦酒カフェへ」とシェフ八嶋が迎えてくれた。

彼の招くままに、店長と私は店のほぼ中央にある特等席に向かい合って座った。

「では早速ご用意いたしますので、少々おまちください」

八嶋は慇懃に一礼すると厨房に入っていった。

「お前、大丈夫か?顔が青いぞ」

「大丈夫なわけないでしょう、あんなにスピードだして」

店長が差し出したグラスを受け取り一気に冷たいお水を飲み干すと、少し落ち着いてきた。

強い日差しの中をドライブしてきたせいか、すごく喉が渇いていたのに気づく。同時にものすごい空腹を覚えた。そういえば今日は朝食をとっていない。

程なく八嶋が現れ、大きくて底の浅いクリスタルグラスと、ビールの小瓶を私たちのテーブルに置いた。

クリスタルグラスには色とりどりのフルーツがピラミッド状に重ねられている。スイカ、マスカット、巨砲、メロン、イチゴ、、ブルーベリー、グレープフルーツなどだ。大きな果実はマスカットの大きさに合わせて丸くくりぬかれていてみな揃えてある。

「では店長、お願いします」

セントルイスPクリークセントルイスプレミアムクリークシェフはビールの栓を抜くと店長にその小瓶を渡した。セントルイスプレミアムクリーク。ベルギービールだ。

店長が小瓶を傾けると、フルーツのピラミッドを伝って、ボルドーワインのような深い紅色の液体がグラス一杯に広がった。それぞれのフルーツが眠りから覚めたように輝き、思い思いの香りをいっせいに放っていく。

「うわぁ、赤い海に宝石が輝いているみたい。ロマンチックですね」

私は思わずフルーツピラミッドのマジックに酔った。

「それではお嬢様、お召し上がりください」とシェフ八嶋、大真面目にいう。

大きなクリスタルグラスにはストロー-が添えられており、脇にはフォークとスプーンも置かれていた。クリスタルグラスに顔を近づけると、あらゆる種類のフルーツの香りが鼻腔を抜けて胸にしみこんでくる。ストローで赤い液体をすすると、チェリーの甘い香りが口いっぱいに広がった。

「セントルイス プレミアムクリークとは良く考えたな、八嶋。このビールならフルーツとの相性もいいし、ボルドーワインのような色合いがいかにも女うけしそうだ」

「有難うございます、店長。正直言ってこのピラミッドには苦労しました」

「ビールを注いでも型がくずれなかったが」

「そこなんですよ、店長。球状のフルーツを崩さないように重ねて維持するために、いやぁ、考えた、考えた。で、思いついたのがこれ」

彼は透明のプラスチック容器を差し出した。ペットボトルを切り抜き四角すいの容器を造ったという。

「なるほど、これにカットしたフルーツを入れて容器ごと凍らせたわけか。これならピラミッド型に重ねたフルーツ同士がくっついてしばらく形が崩れないからな。やるじゃないか、八嶋」

「やっと思い通りの容器ができたと思ったらもう陽が高くなっていて・・・。何とか開店前に店長には披露したかったものですから、時間稼いでもらってすいませんでした」

「それで私あんな乱暴なドライブにつき合わされちゃったんですか?まったくもぉ・・・ヒック」

「おかげで新しいメニューができたんだからよかったじゃないの、城戸ちゃん」

「そりゃそうですけどぉ、ヒック」

「おい、城戸、目がすわってるぞ、大丈夫か?」

「大丈夫に決まってるでしょ。それよりこれ美味しいですぅ、おかわりください・・・ヒック」

それからの記憶が私にはない。

次に気がついたときはカフェが閉店した後、奥にある小さな事務所のカウチの上だった。

店のほうから二人の男の会話が聞こえてきた。

「しかしあれだけの酒でひっくりかえるとはな」

「よほど店長の運転にびびったんじゃないっすか?その反動で酔いが一気に回ったとか」

「だからって、これほど寝るか。酒癖もあまりよくないし、今度からあいつに酒を飲ませるのは用心したほうがいいな」

「確かに、ちょっと酒乱の気がありますねぇ」

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