−セゾンⅡ− グラス4 シェフ矢嶋の憂鬱

カフェの厨房を預かるシェフ矢嶋は、こだわりの料理人だ。学生時代、バックパッカーでヨーロッパ中を回り、皿洗いをしながら各国の味を習 得した。おかげでこの店の料理はなかなかの評判である。
が、店長阿倍に言わせると、語りだしたらとまらないのが、この男の残念なところらしい。
今夜も二人 連れの若い女性客相手に、カウンター越しにえらそうにしゃべっていた。

「キミたちこの料理の名前知ってるかい?」

「えー?普通にフライドポテトじゃないんですかぁ?」と一人の女性。

「そんないいかたするのは日本人ぐらいだよ。正式にはフレンチフライっていうんだ」

「あ、なんかきいたことある。でもこれどっちかっていうと、フレンチじゃなくてアメリカンですよね?」と今度は相方の女性。

「だよね。ハンバーガーのつけあわせって感じだし」

「そうそう」

そこで矢嶋は待ってましたとばかりに語りはじめた。

「実はこの料理はベルギーが発祥なんだよ。第二次大戦中、ベルギーの兵士がジャガイモをフライにして食べていたのを、アメリカ兵におすそ分けしたこ とがあってね。
これがあまりに上手かったんで、後にアメリカ兵がそのレシピを国に持ち帰ったところ、本格的にはやりだしたのさ。
ベルギー兵がフランス語を 話していたので、てっきり彼らをフランス人だと勘違いして、それ以来フレンチフライと呼ぶようになったってわけ・・・」

「そうなんだー。やっぱ矢嶋さんて物知りだよねー」二人の女性はしきりにうなづいていた。なかなかの聞き上手である。

こうなると矢嶋は得意満面、話が止まらない。

「もともとベルギーでは、小さな魚をフライにして食べる習慣があったんだよ。でも冬の間は川が凍って、魚が釣れなくなる。その代用品として、細切りにしたジャガイモを揚げたのが、始まりといわれているんだ」

「なるほどねー」と、感心する二人。

「今でもベルギーでは、町のいたるところにフレンチフライのテイクアウトショップがあるんだよ。
ソースもケチャップ味しかないアメリカとは違い、種 類がたくさんあって、お店だけのオリジナルソースなんてのも楽しめるんだ。
特に有名なのがサムライソースといってね、これがまた・・・」

といいかけたところで、急に矢嶋は背後に人の気配を感じた。

「おい、矢嶋。いい加減にしておけ」
聞きなれたその声に恐る恐る振り向くと、いつもの偉そうな(でもちょっとイケメンの)中年男が、彼を見下ろすように立っていた。

「店長、帰ってたんですか?」

すると二人の女性の目は店長阿倍に釘付けとなった。

「あ、あなたがカフェの店長でオーナーの阿倍さんですか?」二人ともすでに目がうるうるしている。

「ええ。すみませんね、うちの矢嶋がまた長々といらぬ自慢話をして・・・。お嬢さん方退屈したでしょう?」

「そんなとんでもないですぅ」と女性たち。

「お詫びといっては何ですが、僕からとっておきのベルギービールをご馳走させてください」

「ほんとですかぁ?ウレシイ!」急にはしゃぎだす二人。

「さあ、そんな狭いところじゃなくて、奥のお席にご案内しましょう」

店長阿倍に促されて、二人の女性はカウンター席を立った。
「ベルギーの有名なビールで、オルヴァルという美味しいのがあるんです。これにはとってもロマンチックな伝説が残されているんですよ」

「すてきー、ぜひきかせてくださぁい」

阿倍のエスコートで去っていく彼女たちの眼中に、もはや矢嶋の存在などなかった。
(・・・ったく、何で毎度のように突然帰って来るんだよ、あの不良オヤジは・・・)

取り残された矢嶋は、いつもながらのこの展開に、憤懣やるかたない。
そして一人つぶやくのだった。

「だいたいオルヴァルの伝説は俺が店長に教えてやった話じゃないか!」

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