カフェのオーナー兼店長の阿倍は、ある男性客が気になっていた。
この数ヶ月、決まって水曜日に現れるその男、いつもブランド物に身を包み、連れの女性もそのつど顔ぶれが違う。その日の相手は女子大生だった。
自他共に認める遊び人の阿倍だが、女性の好みは別として、その男性客の服装の趣味は自分のそれと一致する。男がその日着ていたイタリア製の赤いシャツは、実は阿倍も同じものを持っていた。
しかし貧弱な体つきのその男には、お世辞にも似合っているとは言いがたい。
それにしてもその男、どこかで見たような気がするのだが、どうしても思い出せずにいる阿倍だった。
ベルギー製の高級ビール“デウス”を注文すると、男はうやうやしく女子大生のグラスに注いでやった。
彼女は早くも瞳を潤ませて言った。
「ねえ、オジ様。社長さんなんでしょう、どんな会社を経営しているの?」
「うーん、まあ、衣料品を少々扱ってるんだけどね」
「それってアパレル関係ってこと?凄いですね、どんなブランド扱うんですか?」
「色々だよ、ニューヨークやミラノ、パリ、国内のメーカーのもたくさんあるよ」
「ステキー。私将来はファッション業界に就職したいんです。これからもオジ様、相談にのってくれますか?」
「もちろん、わたしでよかったら・・・」
男はだらしなく鼻の下を伸ばした。
そのとき店のドアが勢いよく開いて、エプロン姿の太った中年女が入ってきた。
女は両手を腰に当てたまま店内をじろりと見渡すと、すぐにその中年男を認め、つかつかと歩み寄った。
店中の客が注目する中、女は、おびえてちいさくなっている男の片耳を掴んで言った。
「あんたまた店の金を持ち出してこんなとこで油売ってたのかい」
「お前どうしてここが・・・」消え入りそうな声で男が震えた。
「しかもまたお客の大事な預かり物まで・・・まったく罰当たりだよ。さあとっとと帰るんだ、うちは定休日でも仕事が山ほどあるんだからね」
「いててて、カアチャン、そんなに強く耳引っ張るなよ」
女にしょっ引かれ、情けない声を上げつつ男は店を後にした。
店長阿倍は今はっきりと思い出していた。
出て行った中年女は、阿倍もときどき利用している、駅前のクリーニング屋の女房だ。例のエプロン姿の太った体で、いつも客に愛想を振りまいている。そして今その女房にしょっぴかれいった中年男こそ、いつも店の奥で汗だくになりながら作業しているクリーニング屋の亭主だった。
ついでに阿倍はもうひとつ思い出していた。
3日前、お気に入りのイタリア製の赤シャツを件のクリーニング屋に預けたばかりであることを・・・。